昭和51年の医療用漢方製剤大幅薬価基準収載によって、わが国の漢方医学の新時代の幕が開けた。以来四十年近い歳月が流れ、漢方治療は医療現場 …
略年譜を『随想百味箪笥』1984年刊、および『証にしたがう〔藤平健先生追悼記念文集〕』2002年刊を参考に構成し以下に示す。 藤平 健 …
昭和51(1976)年にはじまった現代の漢方の時代もすでに37年が経過した。現代の漢方医学の特長は、西洋医学を専門とする医師が国民皆保険 …
藤平健の漢方医学には、太い二本の柱がある。一本は、傷寒論に対するゆるぎない確信であり、他の一本は本稿が主題とする広義の併病の発見とその …
奥田謙藏を知る前年、昭和11(1936)年に千葉医科大学に入ったその年の夏休みに、日本漢方医学会会誌の『漢方と漢薬』という月刊誌を偶然に …
4-1 証についての論稿 奥田謙藏は藤平ら門人に、江戸時代中葉に香川修徳(1683-1755)の編纂した小刻傷寒論を底本として講義を行っ …
学生時代に入門し、藤平漢方医学のあらゆる尺度となっていた奥田謙藏は昭和36(1961)年にこの世を去った。死去を報じた漢方の臨床誌にねん …
昭和48年8月、藤平は日本東洋医学会誌に、「二陽の併病はなぜ太陽と陽明の間にしかないのか」と題する論文を投稿した12)。現実の臨床で日常 …
長年念頭を去らなかった併病のとりまとめが一段落した後、藤平はもういちど傷寒論にもどってその精読に意を注いだ。すでに麻黄附子細辛湯の脈状が …
月刊漢方の臨床を刊行している東亜医学協会が平成3(1991)年から開催した漢方湯液治療研究会(後に漢方治療研究会と改称)は、エキス剤が主 …
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